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負け組研究所

負け組の、負け組による、負け組のためのブログ

パチンコはギャンブルじゃない。必ず負ける(勝てる)理由をシンプルに説明する

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 私の両親はパチンカスでした。

その影響もあって幼稚園のころからパチンコ屋に出入りしていた私は、16歳になってパチンコを始めました。

それからかなりの時間を高校、大学時代にパチンコ屋で過ごしました。

また、一時期店員として働いていたこともあります。

 

そんな境遇のおかげ?で人よりも多少パチンコに詳しくなりました。

世の中ではパチンコのことをよく分かっていない人がいるので今日は軽く説明していきたいと思います。

 

 

パチンコはギャンブルではない

パチンコというと典型的なギャンブルだと考える人が多いと思いますが、パチンコは厳密に言えばギャンブルではありません。

ギャンブルというのは競馬や宝くじのように、プレイヤーの技術的介入要素が一切ないものを指します。この2つはどこで誰がやろうとも常に期待値は一定であり、有利不利は発生しません。

 

一方パチンコは誰がどの台を打つかによって期待値に大きな差が生じます。

台の回転率、玉の節約、玉の増やし方など介入要素が複数あります。

そのため、全く同じ当たり方をしても打つ台と打つ人が変われば一日で数万円も収支が変わってしまうことがあります。

 

これはもう運任せのギャンブルとは言えません。

パチンコはプレイヤーのやり方次第で勝つことも負けることもできる遊戯なのです。

 

なぜ勝てないか

パチンコが普通は勝てないのは誰でも知っていることだと思います。

では何故勝てないのでしょうか。

 

店が出ないように操作しているから? いいえ、ちがいます

 

よく巷ではお店が装置を使って出玉率をコントロールしているように言われますが、そんなことする必要すらないのです。

 

勝てない答えは単純

 

不利な勝負をしているからです。

 

当たり前過ぎることなんですが、これを理解していない人が結構います。

 

パチンコは大当たり確率の300分の1など、基本的に分母が大きい世界です。

なので、分かりやすくするためにくじ引きで例えて説明したいと思います。

 

以下のようなルールのくじ引きがあったとします。

 

・2枚あるくじのうち1枚が当たり。

・当たりを引いたら400円貰える

・一回くじを引くには500円を払う

 

このルールを見て皆さんはどう思いますか?

 

普通に考えればあんまりやりたくないですよね。

細かい計算をするまでもなく、明らかにこちらに不利な条件だからです。

勝率は2分の1なのに、払うリスクと得られるリターンが釣り合っていません。

 

数回であればこちらが運でプラスになることもありますが、何百回と積み重ねていけば必ずマイナスになります。

不利な勝負は長引けば長引くほど負ける確率が高くなるからです。

 

こういうシンプルなものだと分かりやすいのですが、パチンコとなるとこの単純な話が分かりにくくなります。

無理もありません。

 

大当たり確率が300分の1、確変突入率は54%、当たりの振り分けは1500発が60%、500発が40%、大当たり後には時短が100回転

 

単純なくじ引き要素に加えて、こんな風に分母を巨大化して、いろいろデコレーションがつくと、自分が不利な勝負をしているのか分からなくなってしまうのです。

 

ただ、どれだけ複雑になったとしてもパチンコも基本的には上記のくじびきと同じです。

 

こちらが不利な条件で勝負をさせられているのです

 

だから、ビギナーズラックなどで勝利することはあっても、適当に打ち続けている限りはよほど超人的な運がないと負けてしまうのです。

 

台の回転率を打ち手が不利なように設定しておけば、店は何もしなくていいです。

300台が店にあって各台が1000回転すれば、一日で30万回転、1年で約1億回転することになります。

これだけの試行回数を重ねれば大数の法則により確率が大きくずれることはないです。

よく言われる遠隔操作なんてしなくても安定して収益を稼げるのです。

 

 

何故勝てるのか

上記の話を裏返すと、確実に勝ちを狙うことも可能となります。

さっきと同じようにくじで例えれば以下の条件で勝負すればいいのです。

 

・2枚あるくじのうち1枚が当たり。

・当たりを引いたら600円貰える

・一回くじを引くには500円を払う

 

この場合、こちらが有利な勝負となるので数を積み重ねていけばいずれ勝つことができます。

 

実際にパチンコ屋にはこういう打ち手に有利な条件で設置されている台が結構あります。

その台のみを狙い撃てばいいわけです。

ただし、当然そういう台は競争率が高いので簡単に取れるわけではありません。

そんな中で上手に立ち回って結構な額を稼いで生活している人もいます。

 

私の推測では、パチンコで生計を立てているニートは全国で数万人いると思います。

 

ネット上の知り合いで月に100万円を稼ぐ人がいますが、彼は収入の申告をしてないのでこれがまるまる手取りになります。

こんなに稼いでるくせに健康保険料は月1000円で、住民税も払っていません。

所得上は0円ってことになってますからね。

 

パチンコの場合は証拠がないので、いくら稼いでも税務署に持っていかれることはありません。

だからこそパチニートをしたがる人がいるんでしょう。

 

 

パチンカスは理解しない

要は不利な勝負をすれば負けるし、有利な勝負をすれば勝てるっていう当たり前過ぎることを言っているだけです。

でも理屈でいくら説明しても無駄な人がいます。

 

親や姉はパチンコで借金してしまうほどの大馬鹿なんですが、いくらパチンコが勝てない理屈を説明しても理解しません。

本当に救いようがない人っているんです。

 

未だに親子でパチンコに行っています。

姉なんて32歳、独身、フリーターで趣味がパチンコですからね。

典型的な底辺であり、自分と同じく積んでいます。

 

こういう人たちに支えられて今後のパチンコ産業はまだしばらく続いていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に遅すぎることはないという言葉の嘘

何を始めるにしても遅すぎることはない

 

この言葉は誰もが聞いたことがあると思います。

何かを新しくやろうと思っている人にはとても勇気づけられる言葉です。

 

確かに何歳になろうとも今よりも良くなることは可能です。

どれだけ底辺にいようとも勉強すれば知識は増えるし、楽器の練習をすれば上達するでしょう。

 

しかし、実際自分が何かを目指すには手遅れなことが大半なのです。

 

脳のスペックと運動神経は幼少期の過ごし方で確定してしまいます。

私はデブで運動経験がなかったのに、コンプレックスに押されて中学からサッカー部に入りましたがもう既に手遅れだったわけです。

子供の頃に本を読むという文化がなかった私が、年をとってから勉強しだしても限界があるわけです。

 

私の親は朝ごはんを作りませんでしたし、コンビニ飯やカップ麺、菓子パンばかり食べさせられてました。

15歳になってから身長を決定づける上でタンパク質の摂取が大事だったと知ってももう手遅れなんです。

 

大人になってから歴史小説にはまり、国家を動かしてきた官僚に憧れるようになっても目指すこともできません。

 

通訳になろうと思っても、かなり若いころから訓練を積んでないとほとんど不可能です。

 

 

あまり後ろ向きになっても仕方がないのですが、薄っぺらい自己啓発の言葉で過酷な現実を誤魔化そうとしても無理だと思います。

 

人生は遅すぎることだらけ

 

これが現実です。

だからこそ子供のうちの過ごし方が決定的に重要になってくるんですよね。

子供の時に得たものをベースにして大人になって羽ばたくわけですから、幼少期の影響は一生消えることはありません。

 

 

これに対処するにはとことんハードルを下げるしかないわけですが、それがなかなか難しいんですよね...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食費の節約自慢するのっておかしくね?

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自炊と外食どっちがいいのかというのはよく話題になるテーマです。結論から言えばそんなのどっちでもいいんですが、何故か自炊厨には節約自慢をする人が多く、食費にお金をかける人に対して攻撃的です。

 

節約自慢をする人は月1万円以内に食費を抑えてることを誇ったりします。しかし、そこまで極端な節約に意味があるのでしょうか。

 

食費を削るのはコスパが悪い

食費を月1万円にするのって凄く大変です。単純に一日333円で納めなければいけないわけですから、スーパーで売っているものはほとんど買えません。すごく考えて食品を選び、キャベツ・もやし・卵・豆腐、大体毎回これらのお世話になるのではないでしょうか。

 

この価格内だとよほど特殊な環境にいない限り、肉が食べられないのでタンパク質が不足します。

 

こういう生活を1か月行っても節約できる金額なんてたかが知れています。せいぜい1万円から2万円ぐらいでしょう。これはコスパが悪いです。

 

ちょっと頑張って食費を2万円にするだけで随分食品選びの幅が広がるし、美味しい食事も作れるようになります。そこまで頭を悩ませる必要もありません。

 

更に栄養のことも考えれば月1万円では不足でしょう。体が資本であることを考えれば食事は投資でもあり、長期的な視点で見れば安物買いの銭失いと言わざるをえません。

 

食費月1万をやってみたことがある

実際に自分でも食費を月1万円で生活したことがあります。結構辛かったんですが、その割には節約できる額が割に合わないというのが実感です。しかもそれができるのは、私がニートだからであり、働いている人にはとても難しいと思います。

 

働いていれば消費するエネルギーも多いし、何よりストレスが溜まります。ストレスが溜まると、どうしても食で発散せざるをえないことが多いです。お酒を飲みたくなったり、焼肉が食べたくなったりします。

 

自分が働いていたときも月の食費は4万円ぐらいでした。月1万円で食費を済ますなんて当時では絶対に無理だったと思います。

 

食費はけちるな

何のために食費を削るのかを考えてみると、そこまで節約をする意味は見出せません。食事は人間の最も根源的な喜びの1つであり、健康の源です。その喜びを月に数十回分減らして、得られるお金は果たしてどの程度なのでしょうか。

 

食費を節約しすぎる人は今一度節約の目的を考えたほうがいいと思います。節約すること自体が目的ではないのですから。

 

 

 

 

新卒で就活するときの嘘は数億円の価値がある

 

社会のレールから落ちこぼれてしまうと嫌でも分かるんだけど、新卒時の就活というのは下克上の大チャンスなんだよね。

就活で主に見られるのは面接で話す内容であって、これはかなり限定的な能力だ。

 

人気企業には学歴フィルターが存在する場合があるが、全ての人気企業にあるわけでもないし、世間で思われているほど重要ではない。

超人気企業でコネ採用でもないのに聞いたことがない大学の採用者がちらほらいる。

だから学歴は絶対的な壁ではない。

 

高学歴が大企業に多い理由は学歴フィルター以外に以下の2つが大きいと思う。

 

低学歴が遠慮する

低学歴の人はそもそも高学歴が集うような大企業には応募の段階でためらう傾向が強い。学歴の壁を感じて応募すらしない。

 

低学歴は努力できない

 努力できないから低学歴なので、やはり面接での能力も高学歴のほうが上の傾向がある。不思議と話し方や雰囲気で学歴はある程度分かってしまうもの。

 

絶対的な壁でない以上、やる気のある低学歴の人はチャレンジしてみるべきだ。

 

今後同じようなチャンスは二度とこない

もし新卒の就職で失敗した場合、同じチャンスはもうやって来ない。

よほどの卓越した能力や尖った何かがなければ社会階級は大体固定化されてしまう。

 

中小企業では出世しても500万円の年収だが、財閥系の企業では駄目社員でも30歳で1000万円の年収に到達する。

 

農民に生まれたものが騎士団に入れる最後のチャンスが新卒時の就活だ

 

大企業は美人も多いし、女は企業の名前に弱い。

不純だけど、美人とセックスしたいだけでも大企業を狙う動機になる。

 

今就活を控えている人はこの一生に一度の下克上のチャンスを逃すべきじゃない。

 

詐欺師になったつもりで臨めばいい

面接では証拠がないものであればどんな大嘘をついても構わない。

それで罪に問われることは絶対にない。

学歴や資格などは証拠が残ってしまうためやってはならないが、その他のことなら何を創造しようが自由だ。

 

架空の学生団体を立ち上げたことにしてもいいし、海外に行ってたことにしてもいい。

大事なのは集団の中での自分なりのリーダーシップの発揮の仕方だ。

これは作家としての能力が試されるかもしれないが、嘘くさくなるかどうかはあなたから発する雰囲気と、突っ込まれた時の返し方で決まる。

 

実際知り合いにバイトしかしていないのに、話をでっち上げて超有名企業に入ったやつがいる。

そいつの現在の年収は1000万円である。

 

就活の時に嘘をつくかどうかで生涯年収は億単位で変わってくる。

しかもいくら嘘をついてもリスクがないのだ。

例え失敗しても他の企業で再チャレンジできる。

 

もしあなたが詐欺師ならこんなに美味しい話はない。

嘘話を作るだけで億の賭けができるんだから。

 

そうは言っても上手に嘘をつくというのも結構な能力がないとできない。

これはこれで難しいことだ。

 

場違いの企業に入るリスク

なんだかんだで大手企業の社員というのは優秀な人が多い。

頭の回転が早く、学習意欲が高く、行動力がある。

よく大企業の社員は使えないなんて話があるが、ああいうことを言う人はもの凄くレベルの高い話をしているのであって、やっぱり大企業社員は明らかに中小企業の社員より優秀だ。

 

だから、あなたが無能なのに面接で嘘が上手いという理由だけで大企業に入社したとしたら、辛い思いをする可能性はある。

ただし、大企業なら駄目社員でもそれなりに報酬はもらえるので開き直ってぶら下がるのもありだろう。

 

なぜか一部の例をとって大手企業でも安泰ではないという主張をする人がいるが、統計的に見れば大手企業は圧倒的に安全だ。

 

仕事が合わなくて辞めたくなったとしてもどこかに転職すればいい。

大企業である程度の経験があれば転職はスムーズにいく。

 

自分ももっと嘘を上手に作って大企業にチャレンジしていけばよかったなーと後悔してる。

多分今頑張らないと後で一生後悔することになると思うので、できるだけ高望みしたほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本に生まれただけで幸せ」という論調の馬鹿馬鹿しさ

日本の貧困問題なんかの話になると、

「他国に比べれば日本に生まれただけでラッキーなんだぞ!!」

こんなことを言う人がよくいるよね。

ええ、うちの親もそのタイプでした。

アフリカ理論ってやつね。

 

テレビでアフリカの映像が流れると

「見なさい、あんたはこの人達に比べれば毎日ご飯を食べられるだけ幸せなんだよ」

というよくあるセリフを言ってくるわけ。

 

でもさ、こういう人って人間の幸福のメカニズムを理解してないと思う。

何でこの主張がおかしいのか説明しよう。

 

大事なのは自分が所属する社会の中での比較

 

俺たちの幸福を決定づけるのは、自分がいる社会の中でのステータスだ。

日本の中で自分がどういう位置にいるのかが重要なのであって、他国の状況はそこまで関係がない。

 

幸福が絶対値で決まるのであれば、経済的に豊かな国ほど幸福度が上がり、貧しい国ほど幸福度が下がる。

しかし、国連が行っている幸福度調査では貧しい南米の国のほうが先進国よりも幸福度が上だったりする。

 

なら、豊かさが重要ではないと思うかもしれないがそうでもない。

貧しい国の中にも格差があり、その社会の中の豊かさと幸福度はしっかりと比例している。

 

これは普通に考えれば当たり前のことだよね。

物理的にも心理的にも距離が近いほど、周りの状態が自分の幸福に影響するのは実感としても分かる。

 

年収が600万円あるけど、周りの同級生は皆1000万以上稼いでいてるような状態であれば、全く幸福を感じないだろう。

 

逆に田舎で年収200~300万の肉体労働者に囲まれながら、自分だけはホワイトカラー職で年収500万円を貰っていれば、優越感から幸福を感じるだろう。

 

こういった比較意識の中に物理的にも心理的にも遠い他国の要素は入っていない。

だから発展途上国と比べて日本が恵まれてるなんて言っても意味がないんだよ。

そもそも比較する対象に入ってない。

遠い国の石油王より、パチンコで連チャンしている隣の台のほうが嫉妬するのはそういうこと。

 

遠い銀河系の彼方で人類を遥かに超えた文明が存在しても関係がないでしょ。

 

下を見て幸福を感じろは裏返すと...

 

日本に生まれたから幸せ論者の人は、下には下がいるんだからもっとありがたみを感じろってことなんだと思うが、これはあまり意味がないと思う。

 

だって下を見て幸せを感じるような心であれば、上を見れば不幸を感じるということになる。

 

下だけ見て上を見ないなんてことは実際には無理なわけで、必ず両方と自分との比較をせざるを得ないわけ。

エリートに囲まれて苦しんでる年収1000万の人に対してならもっと下を見ろと言ってもいいけど、日本の下層社会にいる人たちにそれを言ってもしょうがないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めまして

負け組研究所へようこそ。

米内(よない)タケルと言います。

 

大学を卒業して以降職を転々とし、今は無気力な日々を過ごしているニートです。

なんだかんだでもう二年近く働いていません。

人間関係がほぼない状態で、誕生日も年越しも全く関係がありません。

 

これと言ったスキルもなく、職歴もボロボロのためもはや労働者のルートに戻っても底辺として生きることを余儀なくされています。

 

おまけに奨学金という名の借金を背負っています。

返さないといけないんですが、何故か動く気があまりしません。

 

このブログでは人生のレールから落ちてしまった敗者の日常、過去、考え方などを書いていきます。

 

 

 

 

 

現代はもっとも不幸を感じやすい時代

私達は物質的には遥かに昔の人たちよりも恵まれた生活を送っています。

衣食住に困ることはほとんどありませんし、仕事だってそこらじゅうにあります。

技術も日進月歩であり、魔法のようなことが実現化されていっています。

 

しかし、皮肉なことに技術の進歩に比例して私たちの幸福度は上がっていません。

相変わらず自殺者は多いし、アンケート調査でも分かる通り多くの人が幸せを感じていないのです。

 

これは人間の幸せが常に相対的だからです。

私たちは昔の貴族よりも恵まれた生活をしていますが、それは自分だけでなく周りの人も同じです。

 

しかも今の時代はSNSやインターネットのおかげで自分たちとは縁がない人たちの生活も簡単に知れるようになりました。

 

学歴、仕事、交友関係、様々な面で自分よりも恵まれた人を見る機会が多くなり、他者との比較意識がより強化されます。

年収、会社名、身長、容姿、スペックの足し算と引き算の世界です。

男はより美女を求め、女はより年収が高い男を求めます。

こういう世界で負け組でいるほど苦痛なことはありません。

 

また、負け組が這い上がるということは実質的にはほとんど不可能です。

新卒においていい会社に入るという機会を逃してしまうと再起のチャンスは薄くなります。

これは社会構造的にそうなっているというのもありますし、そもそも負け組に落ちてしまうような人間が不利な状況を跳ね除けて、逆転できる能力を持っているはずがないのです。

 

結局人生とは全てが積み重ねであることを大人になれば実感し、何とか状況を改善したいと皆思うわけですが、今更努力しても遅いことも多く、悶々とした日々を送るわけです。

この比較世界において一体何を拠り所にして生きていいか分からない負け組の人たちがたくさんいると思います。私もそんな1人です。

 

いかに生きるか

どれだけ生きづらくても、死にたくなければ生きていくしかありません。

私は今全く幸せを感じていませんが、そんな私がより良く日々を過ごすにはどうすればいいのか?

 

悪あがきをしてこの社会の上に行くのか、神に頼るのか、完全に何もかも諦めて世捨て人となるのか、いろいろ方法はあるでしょう。

 

私も負け組の1人としてこれから生き方を探求し、同じような立場の人たちの参考になれればと思います。